ラフ


「今日はこのくらいにしておこうか」
 彼が筆を置き、軽くため息をつく。
「そろそろ門が閉まっちゃうし」
 教室に備え付けられた時計は5時を指そうとしていた。肩をほぐしながら声をかけても、モデルは無反応だった。
「おーい?」
「……え?」
「だから、今日は終わり」
「あ、うん」
 台の上でポーズをつけていた彼女は、その言葉で傍らにおいてあった下着を手に取った。
「どうしたんだ、ボーっとして?」
「半分寝てた」
「あの格好でか」
 キャンパスと道具等をしまいながら、約束どおり服を着ける彼女に背中を向ける。散々見ているのにとは思うが、約束は約束だ。
「そう言う格好させているのはあなた。いくら鍵かけてるからって、学校で裸になる私の気持ちも察してよ?」
「半分寝ていた子に言われても説得力が無いね」
「あ、ひどい。……はい、もうこっち向いていいよ」
 振り返ると、しっかりと学生服に身を包んだ彼女が彼のキャンパスを覗き込もうとしているところだった。
「あ、こら、見ちゃだめだって」
「でも、もう今日で三日目だよ? 一回くらい見せてくれてもいいじゃない」
「こう言うのはね、ニ日や三日で描き上げられるほど容易くは無いんだよ」
「とすると、まだしばらく私はここで先生に生まれたままの姿を見せつづけなきゃいけないってこと?」
「悪いけど、そう言うことになるね」
 妙な表現を知っているものだと思いつつ、道具を片付け終えた彼はキャンパスを奥の部屋へと運ぶ。
「慣れてしまった自分が怖いけどね」
 彼は女性のヌードデッサンなど初めてではないが、彼女の方は違う。
「まぁ、最初ほどの騒ぎは勘弁して欲しいしね」
「無神経」
「ぐ」
 初日など、まず脱ぐところから難関だった。何とか脱いでも台の上でポーズを取る際ずり落ちそうになり、あられも無い格好になって泣きそうになってしまったこともある。
 何しろ裸を異性に見せているのだ。相当な羞恥ではあるのだが、彼の目は至って真面目だった。その真剣なまなざしの前に居ると、自分がどういう格好をしているのか忘れてしまいそうになる。
 何より、その目が彼女は好きだった。自分の全てを見ている、その目が。
「先生、どっかでご飯食べていかない? お腹すいちゃった」
 二人はあくまでも絵描きとモデル。それは約束であり、あるべき姿のはずだった。
 はずだったのだ。
 
 ある学校の美術室、その奥にはいくつかキャンパスが並んでいる。その中に二枚、少々学校にはふさわしくない裸婦像が二枚ある。
 一枚目には、恥らう裸の乙女が描かれている。タイトルはそのままで「恥らい」と言うらしい。
 だが、二枚目は描き終えられてはおらずラフで終わっていた。大きく足を開いた煽情的なポーズにも関わらず、手に入らぬ何かを求めるかのような、哀しそうな瞳が酷く印象に残る。
 タイトルには、「許されざる愛」とあった。

おやくそく、おやくそくー(ぇ