夜を迎えて

「あら、今日は早いのね、月夜」
 今日は天気が良いせいか、見事な夕焼けが窓から部屋を赤く染めていた。木目のテーブルに置かれた純白のティーカップも、薄い赤味を美しく彩り宿らせている。
「嫌な予感がしましたから」
 どうやら走ってきたらしい。猫の姿をした使い魔、月夜は若干を息を切らせて窓から飛び込んで来た。たまたま窓が開いていたのが塀の上から見えたのだろう。
「お行儀悪いわね、ちゃんと玄関から帰ってきなさいよ」
「いやボク猫ですから」
 ドアを開けて帰ってくる猫がどこにいるのかと問われれば、ここにいると答えるのが夜姫だろう。豊富な知識と豊かな教養は、持って生まれた感性を補正してくれるわけではないらしい。
 窓辺から床に着地し、部屋とテーブルの上の様子を観察した月夜が、一言。
「悪い予感はボクだけじゃなかった、ってことですね?」
「あたしの場合は『良い予感』だけどね?」
 微苦笑を漏らしながら、夜姫はテーブルに腰をかけてゆっくりとお茶の香りと味を愉しんでいる。夕暮れ時にこの余裕が持てるのは、優れた家事能力の賜物なのか、それとも優れた魔術能力の賜物なのか。
「でも、何でティーセットがみっつなんですか?」
 夕日に染まったティーセットはみっつ。ひとつは夜姫用、ふたつめは月夜用、そして最後は……。
「……」
 薄い笑みに混じるのは、若干の憐憫。
「無意味なのはわかってるけどね」
 彼女は魔術師だ。魔術師とは効率を求め、無駄を嫌うもの。彼女自身、そんな理を世に轟かせた人物の娘でもある。
 だが、と彼女は思う。無駄と言うのは、それも自分で好んで行う無駄と言うのは心地よくもあり、心に安らぎを与えてくれもする。効率と言う名の下に、そんな『贅沢』すら切り捨ててしまうのはあまりにもったいない。
 だから、無駄とわかりつつ、彼女はこうして三人分のお茶を用意して待つのだ。
「これで来なかったら笑い話ですね」
「あら、あたしは最近いつもこうしてるのよ?」
「……マジですか」
「月夜が今日みたいにどっかの誰かと逢引してる時だって、あの子はちゃんと来るんだしね」
「あ、あいッ!?」
 月夜がこう言った内容に過剰反応を示すのもいつものことだ。
「でも、やっぱりあの子にとってここへ来るって言うのは、あたしだけじゃなくてあなたに会うのも目的の一つなんだろうし。あたしとしてもそうやって急いで帰ってきてくれるのはうれしいかな?」
 夕日のせいなのか、それとも使い魔に指摘されたからなのか。今日の夜姫はどこか寂しさをたたえた微笑が多い。
 気に入らないが、主にそういう顔をさせていたら使い魔の名が廃る。
「とりあえずあっちにはいませんでしたから、どうせぐーたら生活送ってるんでしょーよ。寝起きのツラでやってくるかもしれないですね」
「ほんっとに毎度ながら容赦ないわね」
 と、こちらはいつもの苦笑。果たしてそれは月夜の雑言に対するものなのか、それとも自分に対するものなのか。
「ほら、いつまでそこにいるの。お茶でもしながら待ちましょうよ」
「爪を研いでおこうかと」
「よっと。……爪、研ぐ?」
「お姉さま……」
 一瞬にして人の姿へ転じた月夜。すっかり慣れたのか、或いは毎度行う術式なので何かしらの細工がしてあるのか、術式の構築に時間がかかったのは最初だけで最近はほとんど一瞬だ。
 口の中でもごもごと文句を言いながら、それでも幼い少女の姿になった月夜はぴょん、と飛び上がって椅子の上に収まる。
「来るならきやがれってんだ」
「いつも思うんだけど、どこでそういう口調覚えてくるわけ? ……あら?」
 何かを感じたのか、夜姫が苦笑しかけた顔をふい、と外へ向ける。そして、
「……良い勘よね、お互い」
 満面の笑顔。さきほどの憐憫など欠片も感じさせないその笑顔は、本心か、それとも『彼』に胸中を悟られないが為の仮面か。
「これでも猫ですからね。狩猟感覚はきちんと残ってるんです」
「戦わないよーに」
 そして夜姫は立ち上がり、『彼』を迎える。
 いつものように、笑顔で。