空へ還れるように


 遠い、遠い、遙かな記憶。
「おじいさん、風邪ひきますよ?」
 日向ぼっことは良く言ったものだが、その老人のそれは少し趣が違う。なぜなら、縁側に座ってお茶ではなく、縁側に枕を置いて寝転がるからだ。
「起きておるよ」
 空は突き抜けるように蒼く、白い雲が時折流れて往く。その組み合わせを見るたび思い出すのは、幼い頃の記憶。
 蒼い空、風になびく短いスカート、そして白い下着。
 空へ還った少女。
 そろそろお迎えも来ようという歳になって、下着の色も何もあったものではないとは思うのだが、それだけ鮮烈なイメージとして残っているのだろう。
「暗くなる前に戻りますから」
 声と気配が遠ざかり、静寂があたりを浸す。
 静寂を破ったのは、ひとつの声。
「ずいぶんと……干涸らびちゃったね?」
「相変わらず色気の無い下着だな」
「……お変わりないようで」
 遠く蒼く澄み渡る空から舞い降りた少女。
 それは遙なる記憶と一切の相違なく、再び彼の元へと訪れた。あの時と同じように、何の前触れもなく。
「色気の無いお迎えもあったもんだ」
 ゆっくり、ゆっくり。
 広がっていた蒼い空が近づいてくる。いや、空に包まれて行く。
「色気はないけど、中々爽快でしょ?」
「悪くない」
 彼女に遅れること数十年。
 彼も、空へと還る。
「私ね、あれからずっとお祈りしてたんだよ」
 視界がやがて鮮やかな蒼に染め尽くされていく。
 あの時空へと還った少女は、あの時と変わらぬ笑顔で語りかけてくる。
 だが、それは中身の無い笑みではなく、何かに満たされた可愛らしいものだった。しばらく見ないうちにいい笑顔をするようになったものだ。
 長い年月で色々ものを得る代わりに色々なものを失った。そんな彼が、掛け値なしに欲しいと素直に思えるほど清々しい笑顔だった。
「あなたが、空へ還れますように、って」
 だから、彼女のこんな台詞に微笑みを返すこともできた。

どこかで見覚えが?w