002.全ては在るがままに
http://sinkaron.tokinko.net >何でもありな100のお題 その1
私が海を好きになったのは高校生の頃のことで、海外旅行がきっかけだった。そんな年齢で海外とは生意気だと言われそうだが、無論親にくっついて行っただけである。
そこで私は生まれて初めて「澄んだ海の中」を見た。
……一発で虜になった。
当時はまだ今ほど日本の海(都心部の、と言った方がいいかもしれない)も汚れてはいなかったが、それでも違いすぎた。
なるほど、この海だったら世界に通じているかもしれない。当時の私はそんな風に感じたものだった。
これがあるべき姿……そう思えるほど、その海は透き通り、美しかった。
ゆるやかな流れ、それに逆らうように素早く、そして優雅に泳ぐ色鮮やかな魚の群れ。水の中に居るのに遙か遠くまで見通せるその光景は、私の心に何を与えたのだろう。
そこには、全てがあった。
その頃、私は……様々な「悩み」を持っていた。あまり人には言えない類のものだ。
使い回された物言いになってしまって申し訳ないが、広大で美しい海を前にして酷く自分が小さく感じたのは確かだ。だがそれ以上に、海は異物であるはずの私までをも取り込んでくれていた、その出来事が衝撃的だった。
それは、私の気のせいだったのかもしれない。
「そう言えば、君の考え方が自然になったのってあの頃だよね」
従兄弟が私に向かってそう言ったことがある。
「自然……そうかな?」
あまり自覚があるわけではないのでそう答えると、「多分ね」と前置きしてから、彼はこういった。
「流れに逆らわなくなったし、開き直っていたよね」
「……皮肉にしか聞こえないんだけど」
彼は私が何で悩み、何をしてしまったのかを知っている。そう言って私が半眼で流し目を送ると、彼は「そう言う意味じゃなくて!」と慌てた。年齢の割に素直な反応をしてくれるので、この従兄弟はからかいがいがある。
「なんて言うか、流れを見るのが上手くなったし。実際段も上がったし」
父親の実家が空手の道場などをやっているので、幼い頃から私も従兄弟もそこで習っている。その中で、高校のあたりから私の腕は格段に上がったとはと再々言われているが、それを海とつなげられたのは初めてだった。
「覚悟が決まったように見える、ってお爺様が言ってたしね」
……それは、そうかもしれない。
元々負けん気が強かった私は、逆境や苦難に真っ向から立ち向かう気質があった。自分の短所にしてもそうだ。だが、段々と私は自分がどういうものであるか、それを受け入れ始めていたのだろうと思う。
立ち向かうのが悪いと言うのではなく、本質を知り、在るがままに受け入れた上で心を動かして行く。
言葉にすると酷く曖昧だが、それはきっと私にとっては大きな進化だったのだろう。
「ひょっとして、その自覚があるから海外旅行好きだったりするのかなぁ、私」
「それはないでしょ。どっちかって言うと食メインじゃない」
「ひどいなぁ」
当たり前のことが当たり前であること。それが一番素敵なことだと思えるようになったこと、それが後々の私を形作っていった。
全ては在るがままに。
それはきっと世界の在り方なのだろう。そう、今になって思う。
んー、イマイチまとまりが悪い。ちっ。
ちなみにこれが誰とか実話なのかとかってツッコミはスルーすりゅー♪